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betterdays

障碍者虐殺事件の矛盾点から考える


  容疑者植松は「障碍者はみな殺せばよい」と言ったが、植松自身も中途からの精神障碍者である事がニュースで伝えられた。それを目にして、僕は訳が判らなくなった。僕自身も生まれつきの脳性まひの身体障碍を持っているが、僕がそのように言うようなものだから。あり得ないわけである。そのあり得ないはずの事が起きたと。

  植松は衆議院議長に今回の事件を予告する手紙を書き、議長は警察に連絡した。ならば、まず、警察の警備体制の不備が挙げられる。市民の命を守るために警察は万全を期さなければならないのに。施設には一人の警察官も配置されなかった事はどういうことなのか。怠慢と言うしかない。

  植松の主治医も問題である。精神科専門の医者ならば、事件を予見してもよさそうなのだが、何故、危険性を予測出来なかったのか。医者にも責任がある。

  警察や医者にも責任があるとは言え、植松の罪を軽くする口実にはならないし、してはいけないと思う。裁判で、厳罰に処してほしいと願う。

  又、今回の件で、知的障碍者や身障者関係に特に「精神障碍者は恐ろしい」という偏見や差別が深まる事を僕は非常に憂慮している。精神障碍者たちは障碍者関係でも差別されがちな面が今までも強いが、今回の事件を契機に、知的?身体障碍者関係までもが精神障碍者の隔離を願う意見が広まりかねないからだ。精神障碍者たちも障碍者には違いないのに。

  ここで精神病の問題についても話しておきたい。精神病には二種類ある。脳の器質性障碍=元々脳の構造に病変がある場合。それは純粋に医学の次元の問題なので、僕は語らない。もう一つは、ストレスが原因で脳が病変を起こし、発症する精神病。後者の精神病が日本でも特に近年は増えている。ストレスの原因は様々だが、非常に複雑な人間関係や仕事状況が原因の例が多い。夫婦や親子関係ですらも原因になる例も増えている。つまり、器質性以外の精神病は全て「社会病」なのである。社会を直さない限りは全患者は治らないと言っても良いだろう。根が深い。それなのに、今の精神科医の多くは脳ばかり見て、薬で治そうとしている。その結果、薬害になる例も多い。仮に高性能の薬ができて、病気が一時的に治っても、また社会的な要因でストレスがかかり、精神病になるのは見えている 。一時しのぎにしか過ぎない。おかしいと。精神科の医者たちも考えてほしいし、社会的精神病患者を出さないためにも、敬天愛人の理念が復活してほしいわけである。
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