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砂漠の海図 いつの日か金斗雲に乗って天竺へ

三十歳の夏、僕は中国のトンゴリ砂漠にいた。
 鳥取大の遠山正瑛名誉教授(故人)の黄河流域砂漠緑化プロジェクトの取材で、中国科学院の実験農場のある中国奥地サポトウという村を訪れたのだ。
 黄河の上流は、グランドキャニオンを思わせる深い峡谷を流れる。豪雨が地肌をえぐると、その土は下流に運ばれ、川床に堆積する。人々の住む下流の川床が上がると行き所を失った川の水は何度でも氾濫を繰り返

すのだ。国を治めるものは川を治めなければならないと言われる所以である。このプロジェクトは黄河上流に葛を植え、自然の力で河岸を固めることで土砂の堆積を抑え、黄河を治水するというものだった。
 しかし、今から二十年も前の話だ。いまでも報道の自由が取りざたされる国なのに、当時の中国には、新聞記者に自由に取材をさせる発想などまるでない人民幣匯率走勢。いかにも共産主義国家らしく、中国科学院の招きによる国

賓待遇としてプロジェクトの視察団が形成され、それに同行する形で取材が許されたのだ。おかげで、共産主義国家的国賓待遇の交流形態なるものを朝から晩まで学習することになる。
 食卓には、朝から十品の中華料理が並ぶ。昼には、ここに青島ビールが加わり、夜にはさらに紹興酒と白酒が加わり、「乾杯!乾杯!」の繰り返し。旅行としてみたら、こんな豪華な旅もないだろう。なんせ、国賓

待遇なのだから。
 その一方で、現在の発展を予想することさえできない貧しい共産主義国というものを随所に垣間見た。北京の一流ホテルで、一行が部屋の冷えたビールを一本ずつ飲んでしまうと、もうそのホテルには冷えたビール

はなくなる。冷蔵庫すら満足に普及していないのだ。我々は、旅の行程のほとんどは生ぬるい青島ビールを飲むことになる。もっとも、慣れてしまうとこのぬるい青島ビールはとても味わい深く、逆に冷やしてしまう

と、味は消えて、喉ごしだけになってしまうのだ。我々は最初、諦め、次に満足し、最後はビールは冷やしてはいけないなどと薀蓄をたれ、見事に洗脳されてしまうのだったhifu 價錢
 中国科学院のお役人は、ともかく愛想がいい。接待攻めでいいところだけ見せてシャンシャンと終わらせたいのだろう。しかし、その反面、街の食堂のウェイトレスにはまるで笑顔がなかった。端から見ていると不

機嫌にさえ見える。しかも、水を頼めば、コップをガシッとテーブルに置く。料理は、皿をガンガンいわせながら運ぶ。彼女らは、時間に拘束される公務員労働者であって、笑顔だのサービスには何の付加価値もない

のだ。さすがに今は、外資系の企業もたくさん入っているし、そんなことはないのだろうが。20年前の話だ。
 移動中はともかく、現地に入ると、さすがに僕もお役人の接待には辟易してきた。案内されるところは、写真を一枚とれば、ことがすむところばかりだ。僕が見たいのは、案内されないところなのだ。
 僕が、しばしば一行を離れ、勝手に動き回るようになると、そのたびに案内のお役人は困った顔をして僕を探しに来るといういたちごっこが始まる。このプロジェクトには日本側の多額の研究資金が拠出されている

ので、その研究がどのように報道されるかは、中国科学院という国家機関にとっては、今後につながる重要案件なのだ。案内したところをちゃんと撮ってもらわねば困るというわけだが、取材をする側からすれば、こ

んなに不自由な仕事もない。
 僕は、この国の衣を脱いだほんとうの姿がファインダーに収めたくて、路地裏に入り、市場に紛れ込み、人々の素顔を追った金秀。だが、無邪気な子供の笑顔も寡黙な老人の表情も、それはそれで価値ある被写体ではあ

るのだが、結局のところ、単なる人民の素顔に過ぎず、先進国はいざ知らず、世界中のどこの国に行っても当たり前のように見られるものなのだ。何とも言えぬファインダーの奥の食い足りなさと、満腹で消化不良の

胃袋のアンバランスな感覚を引きずったまま、時間だけが過ぎていった。
 そして、この大地が真なる姿を見せる瞬間が、計らずも旅の終わりにやってきた。サポトウを離れる最後の夜、中国科学院の粋なはからいで、駱駝を駆って砂漠に繰り出し、一夜の夜営をしたのだ。
 その砂漠で見た星がすごかった。
 砂を散りばめるどころか、暗幕に機関銃をぶっ放したような荒々しさで、星たちは僕に迫ってきた。ヒマラヤの星空もすごかったが、トンゴリ砂漠の星屑も僕が一生の間に見たベストショットの一つになった。僕ら

は、星明りの下で車座になり、旅を総括する酒盛りをした。やがて僕は輪を離れ、ひとり夜営をするテントの前に寝転がり、天空を仰いだ。砂漠を渡る風が絶え間なくうなりをあげていた。
 ここは歴史の彼方に埋もれた交易路シルクロードだ。太古の昔から、旅人はこの星空を砂漠の海図として、この道を行き来してきた。中国からは絹が運ばれて行った。西方からは、経典がやってきた。葡萄もやって

きた。かぼちゃもやってきた。そして、幾つもの文明が交差した。その交差点に、いま、僕はいる。僕はようやく、この大地の本当の姿を垣間見れる地点に立ったような気がした。
 共産主義国家というひとつの政治形態は、いまという時代にこの大地を覆った、一枚の衣のようなものだ。ひとたびその衣を脱いでしまえば、そこには、悠久の歴史が大河のように昔も今も滔々と流れているのだ。

「この国」という言葉自体が、そもそも、この大地の本当の姿を表さない。「中華人民共和国」なる国は、国家としては、「日本」よりも遥かに歴史は浅いのだ。
 いにしえの旅人たちは、この星空を空の海図としてこの砂漠を渡っていったのだろう。その空の海図を眺めているうちに、僕はいつしか真っ暗な闇の向こうに広がる一筋の道を心に描いていた。それは唐の時代、玄

奘三蔵が仏の教えを求めて目指した天竺への道だ。
 行けども行けども果てしない砂漠、行けども行けども行く手を遮る山々。そこはまさに金角銀角が跋扈し、斉天大聖・孫悟空が荒れ狂う七変化の妖怪の世界だったのだろう。(もっとも、その頃の孫悟空は香取慎吾

ではなく堺正章だったが)。
 いつの日か、この星空の下、シルクロードを遡って、駱駝で砂漠を越え、驢馬でヒマラヤを越え、インドに行ってみようと思った。もしかしたら、本当に途中で山賊に襲われて殺されちゃうかもしれない。家内は止

めるだろうな。それでも絶対に行こうと思った。そう思うと、夢がふくらみ、興奮してしまって、とうとう朝まで眠れなくなってしまった。
 あれから二十年、その冒険の夢を、僕は、いまだに果たせないでいる。
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